
なかにわ路地は、五条通りの一筋南側に位置する「芳野町」にあります。
芳野町は古くは「桜町」と呼ばれており、その名のとおり、町内には桜の木々が数多く
立ち並んでいました。
寛延3(1750)年の桜町天皇崩御に伴い、「桜」の字を避けて、芳野町に改められました。
桜に因んだ名前ということから桜で有名な奈良の吉野から名づけられたそうです。
芳野町の通りには特に名はなく、かつては煉瓦造りの大きなタバコ工場があり、その裏側に面して
家々が軒を連ねて町内会が形成されていました。
戦前生まれの方や戦後の団塊世代の方の子供時代は、戦後の混乱でどのお宅も生活が大変でしたが
町内会では皆が助け合って近所の子供たちの面倒をよく見ておられました。
またその頃は、終戦直前の強制疎開で五条通りの住まいを立ち退いて来られた家庭も加わり、
町内会も多くの子供たちで賑わっていました。
この当時に芳野町に住まわれていた方は、自分たちが住んでいる芳野町を昔の名前である「桜町」と
呼んでいたそうです。
今では「桜町」という呼び方もタバコ工場の面影もありませんが、
なかにわ路地や芳野町には昔と変わらない住民の方々の営みがあります。
